語られなかった信仰 ― 隠れキリシタンの心情に触れる
祖母の引き出しの奥にあったもの
堂崎教会を出ると、海風が頬を撫でた。
外の光は明るいのに、胸の奥は少しだけ重い。そういう感覚があった。
車に戻る途中、私はふいに思い出した。祖母の引き出しを整理した日のことを。
母と二人で、古い布や手紙を一つずつ畳み直していた。
祖母は几帳面で、何もかも丁寧に包み、しまっておく人だった。
「これ。見て」
母が、小さな布包みを差し出した。
白い布は、何度も洗われたのか薄くなっていて、端がほつれていた。
中に入っていたのは、小さな像だった。
木彫りで、丸みのある顔。
ぱっと見は、観音様のようにも見える。
「でもね、これマリア様なんだって」
母は、戸惑うような声で言った。
私はその像を手のひらに乗せた。
軽い。けれど、軽すぎるはずなのに、妙に重く感じた。
「おばあちゃん、こんなの持ってたんだ」
「昔ね。うちの家系、隠れキリシタンだったって話、聞いたことある?」
私は首を横に振った。
知らなかった。というより、誰も話さなかった。
母は少し迷ってから、言った。
「語らないのが、守り方だったんだと思う」
その言葉が、堂崎教会の前で、今になってはっきりと意味を持ち始めていた。

隠れキリシタンという生き延び方
「隠れキリシタンって、ただ隠れてたって話じゃないよね」
車の中で私がそう言うと、祐介は、慎重に言葉を選ぶように頷いた。
「うん。信仰を捨てないために、形を変えて、日常に溶かしていった人たちだよね」
禁教の時代、キリスト教は罪だった。
信仰が見つかれば、捕らえられる。家族も巻き込まれる。
だから人々は、祈りを仏教の形式に重ねた。
仏壇の奥に隠す像。
お経のように唱える祈りの言葉。
祭りの日に紛れて行う儀式。
「たぶん、信じるっていうより、守るが近かったのかも」
祐介は静かに言った。
私は、祖母の背中を思い出していた。
祖母は、神様の話をしなかった。
でも、家族のことになると、驚くほど強かった。
言い争いが起きても、最後に祖母が一言言えば収まる。
泣いている人がいれば、黙って背中を撫でる。
誰かが壊れそうなとき、いつも真ん中に立っていた。
あの強さの根っこに、祈りがあったのかもしれない。
堂崎教会の周辺で、心がほどけていく
車を停めた先には、海へ続く小道があった。
教会の敷地から少し離れるだけで、周囲は一気に静かになる。
波の音が、一定のリズムで繰り返される。
それは心臓の鼓動と似ていて、聞いているうちに、胸の中のざわめきが少しずつ収まっていく。
「ねえ、ここって祈りが音みたいだね」
私がそう言うと、祐介は驚いたようにこちらを見た。
「音?」
「うん。誰かが声に出してるわけじゃないのに、ずっと続いてる感じがする」
祐介はしばらく考えてから、頷いた。
「分かる気がする。建築って、空気を作るから。
空気の中に、時間が溶けてるんだよね」
堂崎教会の赤レンガは、ただの材料じゃない。
そこには、長い沈黙と、やっと取り戻した声が染み込んでいる。
私の家族がその沈黙側にいたのかどうか。
確証はない。けれど、祖母が残した像が、少なくとも何かを語っている。

祖母の祈りが、私に残したもの
「おばあちゃんの最期、穏やかだった?」
祐介がそう聞いた。
私は少し考えて、頷いた。
「うん。眠るみたいだった。
私は、何もできなかったって思ってたけど。今は、違う気がする」
祐介は、黙って聞いてくれる。
その沈黙が、ありがたかった。
「死って、怖いって思ってた」
「でも、おばあちゃんの顔を思い出すと、帰っていったみたいにも思える」
祐介が、ゆっくり頷いた。
「死生観ってさ、言葉じゃ説明できないよね。
でも、建築と似てる。
理屈じゃないのに、ここにいたいって感じる場所があるみたいに」
堂崎教会は、まさにそういう場所だった。
私は、祖母が祈っていたものを、今、少しだけ理解できる気がした。
祈りは、奇跡を起こすためじゃない。
生きるために、心を折らないために、家族を守るために、必要だった。

「語れない」ことの重さと優しさ
ふいに、私は母の言葉を思い出した。
語らないのが、守り方だった。
隠れキリシタンの心情は、もしかしたら恐れだけじゃない。
語れないことを背負う切なさと、
それでも家族を守り抜く優しさが、混ざり合っていたのかもしれない。
「私、今まで、家族のことをちゃんと見てなかった」
口から出た言葉に、自分で驚いた。
祐介は、否定しなかった。
ただ、静かに言った。
「ここに来たってことは、見ようとしてるってことじゃない?」
その言葉に、胸の奥が熱くなる。
堂崎教会の赤レンガは、過去を責めない。
ただ、静かに、今の私を受け入れてくれているように感じた。


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