白いリングの下で、僕らは走り出した
夢の舞台 国立競技場
「思ってたより、静かだな」
思わずそう口にすると、隣で歩いていた紗季が振り返った。
「それ、たぶん設計のせいだよ」
目の前に広がる国立競技場は、巨大なはずなのに、威圧感がない。
白いリング状の大屋根が、空を包み込むように連なり、
その下を吹き抜ける風が、夏の湿気をやさしく押し流していく。
ここが、全国高校総体――男子100m×4リレー決勝の舞台。
テレビで何度も見た場所に、
今、自分のスパイクで立っているという事実が、まだ信じられなかった。
新国立競技場という「現代建築」
「この競技場、2020年の東京オリンピックのために建て替えられたんだよね」
紗季の声は、少しだけ弾んでいる。
彼女は陸上部のマネージャーであり、
同時に、建築雑誌を読み漁るタイプの知る人ぞ知る建築オタクだった。
「設計は隈研吾さん。コンクリートだけじゃなくて、
日本らしい木を前面に出してるのが特徴」
外周回廊に並ぶ木製ルーバー。
全国47都道府県から集められた国産木材が、
この巨大スタジアムを、どこか人の暮らしに近い存在にしている。
「なんかさ。大きいのに、優しいよな」
自分でも驚くほど、素直な感想が口から出た。

スタートラインに立つまでの記憶
控室で、スパイクの紐を結び直す。
手の甲には、練習でできた小さな傷が残っている。
「悠真、手、震えてる」
陸が、からかうように言った。
でも、その目は真剣だった。
1年前、彼はケガで走れなかった。
リハビリ室で、悔しさを噛み殺していた姿を、僕は知っている。
「大丈夫。ここまで来たんだから」
国立競技場は、
選手の集中力を高めるために、視界のノイズを極力排除している。
観客席の勾配、トラックの配置、風の抜け方。
すべてが、「走る」ためにある。
スタートラインに立ったとき、
この建築が、静かに背中を支えてくれている気がした。


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